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ストックホルム近代美術館

ストックホルム近代美術館
アンディー・ウォーホル展
(Andy Warhol 1928-1987)

どうもアンディウォーホルには縁があるようで、ストックホルムで空いた時間に近代美術館に行ってみたところ、たまたまウォーホル展に行き当たったのでした。これほどの多くのウォーホルを一度に見るのは、しかし壮観でした。ある意味ウォーホルの作品はこのようにいっぺんに見て、その真価が発揮されるのではないかとすら思ったぐらいです。
ウォーホルの作品で一番に人が得る印象というのは「なんかわからんが、カッコイイ。クールだ」といったものだと思うのですが、彼の作品には一貫してそういった「雰囲気」があって、今回のように、全体がウォーホル作品でで覆い尽くされていると、その雰囲気の中にどっぷり浸かってしまう事が可能だったんですね。そしてなんとなくウキウキしてくるんですw。 みなさんもご存知のように、ウォーホルの作品は、数枚の絵をいくつかの別の色合いで組み合わせた物が多くあり、ただその枚数が多いだけで、作品が持っている効果はかなり高まっておりました。
まず、一番に感銘をうけたのは、彼の写した有名人のポートレートです。インスタントカメラのようなもので、照明だけ使ってまさにインスタントにとったポートレート。写真のサイズも5×5cmとかで、黄金時代末期(70-80年代)のアメリカの有名人のポートレートがざっと60枚ほどあったでしょうか。あまりアメリカの有名人にくわしくないので、名前をほとんど思い出せないのが、非常に残念なのですが、例えば、よくハリウッド映画で見るような顔、スタローンだとか、スポーツ選手など、ごく当たり前の有名人の写真です。しかし、このいい加減にとったように見えるポートレート、我々の普段見慣れている顔ぶれが、どれも、どんな写真でも見た事がないような表情をしているんです。それはこのブログの最初の記事で少し書きました。人が普段持っている仮面がとれてしまった状態。その人の本質、それから人物のあらゆる側面が一枚の写真に出てしまっているようなそんな表情をみんながしているんですね。まるで、それぞれの人物が持っている幼年期の表情をそこに写しているかのような写真なのです。まったくどんなトリックでそんな表情を彼がひきだしたのかわかりませんが、そこに、挑発(プロヴォーク)芸術家としても彼の真骨頂を見た気がいたします。おそらく、撮影の日に、まず彼に会って、彼の脱力した口調と態度で、数々のプロヴォークをされつつ、撮影の準備をしているうちに、みんな撮影をする頃には、おかしな精神状態になってしまうのでしょうw。彼の挑発はどうもすんなりと他人の中に、人生の馬鹿馬鹿しさを悟らせてしまうようなものがあるような気がします。こんなポートレートをこうもあっさりと、インスタントに撮られてしまったら、数々の肖像画もまったく立場を失ってしまうなぁというぐらい、まったく「ウォーホル的な物」を代表できるような内容を持っておりました。
そんな何もかもがどうでもよさそうで、インスタントな彼の芸術ですが、彼の撮ったビデオもたくさん公開されておりました。中でもファッションショーを撮ったものが、最高に痛快だった! 僕はなぜかテレビでファッションショーを見るのが大好きで、やっているとつい見てしまうのですが、いつも気になるのがカメラワーク悪さなんですよ。ヨーロッパなどでみれるファッションTVはまだましですが、日本のファッション通信(まだやってるのか?)はもっとひどい!全体を写すのはいいのですが、その服が持っている個別の雰囲気すらまったく伝えてこないものばかりだと思うのです。そこに持って来てウォーホルの撮った物は、撮りたい物しか撮らないし、実際、ファッションショーのレポートとしてはまったく使えない代物なんです。画面上の動きの面白さ、スピード感などを使った芸術作品なんですよね。にもかかわらず、それぞれの服の持っている個性、本質をなんと見事に写し取っていること!それだけじゃなく、ファッションショーそのものにある雑多な雰囲気、周りの人間の滑稽さ、またファッションショーそのものが持っている滑稽さまでが、ありありと表現されている。そしてそれもまたすんなりと我々の心に入って来てしまうんですよね。
作品展では、彼のデッサンなんかもいくつか展示されていました。驚いたのは、これは和田誠のスタイルにすごく似ているんですよね。ああ、和田誠はやっぱり僕の父親の世代で、こういうニューヨークポップアートに強く影響を受けているんだなぁということが、今になってわかりました。

この近代美術館は小さいながら常設展示も非常によかった。マティス、ピカソ、ミロ、キリコなどの作品を順番にゆっくり見ていって、もう一つ別の部屋にいくと、ダリの巨大な絵が一枚あるのですが、この横に、思いついたかのように一枚だけピカソがかかっている。これは僕の好みの問題なのかもしれませんが、同時代にパリにいたスペイン人ながら、関係を持つ事がなかったピカソとダリ。この関係は自尊心と、虚栄心を満たすように死ぬ気になって絵を書き、シュールレアリズム運動のごたごたに翻弄されるダリに対して、まったく素知らぬ顔でただパワフルに自分の芸術活動を続け、あらゆるシュールレアリストから羨望の目でみられていたピカソというのが僕のイメージなのですが。最高に洗練された細かい技術を駆使して描いた、巨大な空想の産物であるダリの絵の横にある、ピカソの何の気もなくただ自分の存在のままに女性を描いた小さな絵が、なんとダリとは対照的に有無を言わせないパワーを持っていることでしょう! 僕には美術館の館長はそんなことを言いたくて、わざわざあんなところに一枚だけピカソをかけたとしか思えなかったのでした。

帰り際、入り口のところにあったウォーホルの撮った有名なバカビデオ(w)に目を奪われました。白黒の画面で、晩年のよぼよぼになったダリに、ただ強い照明を当てて、静止してる彼をとった動画w。ただし、ここでは瞬きをすることを許されていませんw。涙をためながら、永遠とまばたきと苦闘する、老年のダリは、虚栄心と戦い続けてぼろぼろになってしまったダリの本質を、まるっきり表現し尽くしているじゃなですか! 例の脱力した姿勢で老年のダリにビデオを撮らせて下さいと言って近づき、真顔で芸術作品ですといいながら、ダリを完全に馬鹿にしきっている、新時代、気鋭の芸術家ウォーホルw。またそれが完全な彼流の挑発芸術(僕が作った言葉です)になっているというこの男のにくさですね。まったく感服してしまいました。

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